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白骨章について考える その3

中盤のわかりやすいところを一気に。


されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、
すなはちふたつのまなこたちまちにとぢ、
ひとつのいきながくたへぬれば。
紅顔むなしく變じて、桃季のよそほひをうしなひぬるときは、
六親眷屬あつまりて、なげきかなしめども、
更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、
野外におくりて夜半のけむりとなしはてぬれば。ただ白骨のみぞのこれり、あはれといふも中々をろかなり。

朝は血色も良かったのに、夕方には白骨となってしまうということもありうる人間の体である。
いざ、その死の時がくれば、両目は閉じて息もしなくなってしまう。
スモモのようで健康そうだった顔色もすっかり変わってしまった時には親戚も集まって、悲しみに暮れるけれどなにがかわるわけでもない。そのままにしていてもどうにもならないので、外に運び出して火葬にしてしまえば、白骨だけが残るだけである。
哀れで悲しいことである。

で、死んじゃったらこうなって、最終的には白骨しか残らなくて悲しいことだね、とまぁお葬式を眺めて語ってるような感じ。

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コメント (2)

はじめまして 黒骨と申します。 宗教者ブログのリンクからここにきました
得度習礼がんばってください。
私も白骨の御文章をよく読みます。
もしよろしければ リンクさせていただきたいのですが どうでしょうか?

coboo:

すいません、コメント見落としておりました。リンクぜんぜんOKです、こちらもリンク貼らせていただきます。

おおぼけしておりました。すいませんです。

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2004年06月07日 10:05に投稿されたエントリーのページです。

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